
斐伊川が近くを流れるのどかな田園風景の中に窯元を構える出西窯。温かみのある日本家屋風の工房で、日々新しい器が生み出されています。
出西窯の器は飾り気のないシンプルなものが多く見られます。こだわりは「道具としての使いやすさ」。器はいずれも手に馴染み良く、陶器でありながら柔らかさや温もりを感じます。食器として主張することなく、和にも洋にも合わせられるデザイン。比較的丈夫で、普段使いの陶器と同じように使えるのも魅力です。
道具としての実用性に味わいのある美しさを兼ね備え、今日では全国に多くのファンを持つ出西窯ですが、今に至るには揺るぎない信念があったからでした。
昭和22年、出雲市斐川町出西で、多々納弘光、井上寿人、陰山千代吉、多々納良夫、中島空慧の5人が集まりました。当時19〜20歳の彼らは地元の幼馴染で、全員農家の次男三男。物資も食料も不足している戦後間もない時代の中、生活の手段として「何もないここから、手作りで何かできることはないか?」と考えを巡らせました。
あれこれ模索する中で、この土地の粘りの強い土が焼き物に向いているという話を聞いた彼らは陶芸に目をつけます。とはいえ、陶芸に関して知識も経験もないゼロからのスタート、まずは一から窯を作り、当時出雲市にあった工業試験場の技師に指導を頼み、手探り状態でつくり始めました。
最初は古伊万里や京焼のような美術的価値のある陶芸品を見よう見まねで作っていましたが、ある日窯を訪れた松江の工芸家の金津滋から「君たちの仕事には、美しさも志もない」との指摘を受け、民芸運動を起こした柳宗悦の本を渡されます。
方向性に迷いが生じていた彼らはその本に多大な影響を受け、同じく民芸運動を展開していた安来市出身の陶芸家、河井寛次郎に指導を懇請します。窯を訪れた河井寛次郎から指導を受け、ここで5人の価値観は大きく変わります。
さらには河井寛次郎との繋がりから柳宗悦や濱田庄司、鳥取出身の民芸運動家である吉田璋也、イギリスの陶芸家バーナード・リーチらとも交流が生まれました。民芸運動の重鎮たちからその精神を学び、彼らもまた修行に出て技術指導を受けることで確実に実力をつけていき、試行錯誤を繰り返しながら現在の出西窯のスタイルを築き上げていきました。
出西窯の器は飾り気のないシンプルなものが多く見られます。こだわりは「道具としての使いやすさ」です。器はいずれも手に馴染み良く、陶器でありながら柔らかさや温もりを感じます。食器として主張することなく、和にも洋にも合わせられるデザインです。比較的丈夫で、普段使いの陶器と同じように使えるのも魅力です。
民藝運動とは
それまで顧みられることのなかった「日常的な暮らしの中で使う手仕事の日用品」の中に美しさ(用の美)を見いだし、活用しようという日本独自の運動。
柳宗悦を中心に陶芸家の濱田庄司や河井寛次郎らによって展開され、全国の無名の職人が作る民芸品の中に美を見出し、広く伝えるために全国各地を精力的に回る活動が行われました。民芸という言葉は民衆的工芸品の略であり、彼らによって生み出された言葉です。
ル コションドール出西
フランス語で「金の豚」を意味するル コションドール。金の豚は、幸せを呼ぶ幸運のシンボルといわれています。食べた人がみんな幸せになれますように、と思いを込めて名付けました。小さな子供や妊婦さん、お年寄りの方も、誰もが笑顔で食べられるように、安心安全な材料にこだわった、丁寧なパンを作っています。
Bshop出西店
シンプルでありながら機能的で、暮らしの中で寄り添い続ける服と日用品。
つくりのいいものは、今だけでなく時代を超えてもなお価値があり美しく、次世代へと受け継がれていく。