なぜ出雲は「日本のふるさと」と呼ばれるのでしょうか?
出雲市は、日本神話の舞台が多く存在する場所で、日本の起源を語る物語が伝えられています。日本神話は『古事記』や『日本書紀』に記録されており、『古事記』の三分の一は出雲に関する内容だとされています。
※日本神話とは、神々の行いを通じて日本の精神性や価値観を表現したものです。
- 古事記とは何でしょうか?
- 日本最古の歴史書は、712年に天皇に献上されました。この書物は、大伴安麻呂を中心とした朝廷の役人たちが、古くからの伝承をもとに編纂したとされています。原本は現存していませんが、いくつかの写本が伝えられています。世界の始まりから、日本初の女帝である推古天皇(7世紀初頭)の時代までの歴史的な出来事や神話、伝説が記録されています。
- 日本書紀とは何ですか?
- 日本最古の公式な歴史書は、奈良時代(8世紀)に成立し、代々受け継がれてきました。これは皇族の舎人親王を中心としたグループによって編纂され、720年に完成しました。この書物には、日本の初期神話から持統天皇の時代(7世紀末)までの出来事が記されています。
「古事記」と「日本書紀」は、一般的に「記紀」として知られています。
神話か、それとも本当の話でしょうか?
出雲神話を裏付ける考古遺跡がいくつかあります。荒神谷遺跡で発見された貴重な青銅器は、神話の世界をより身近に感じさせてくれます。
また、荒神谷遺跡だけでなく、弥生時代の歴史を学べる「出雲弥生の森博物館」や、出雲大社の近くにある「古代出雲歴史博物館」も訪れると、古代出雲についてさらに深く知ることができます。
島根県立古代出雲歴史博物館
この博物館は、出雲大社の近くにあり、神話の世界を直接体験できます。
出雲大社を中心に、古代出雲に関する展示を行っている博物館です。コレクションには、荒神谷遺跡から出土した358本の銅剣、16本の銅矛、6個の銅鐸が含まれており、その中には国宝もあります。また、加茂岩倉遺跡から出土した39個の銅鐸(すべて国宝)も展示されています。
さらに、石見銀山や島根県全体の歴史に関する展示もあります。中央ロビーには、2000年に出雲大社の敷地から出土した「宇豆柱」が展示されています。また、平安時代の出雲大社本殿の姿を再現した1/10スケールの模型も見ることができます。
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島根県立古代出雲歴史博物館
ここでは、古代の出雲大社の姿を再現した模型や、この地域で発見された銅剣や銅鐸の素晴らしいコレクションを見ることができます。また、8世紀の書物「出雲国風土記」に描かれた生活についての展示や、2000年に出雲大社の発掘調査で見つかった、古代の神社の一部と考えられる3本の巨大な杉の柱もご覧いただけます。
荒神谷遺跡
権威の象徴である358本もの青銅の剣が発見された考古学的遺跡です。
この遺跡の発掘は、1983年に古墳時代の須恵器が見つかったことをきっかけに始まりました。1984年から1985年にかけての調査で、358本の銅剣、6つの銅鐸、16本の銅矛が発掘されました。これらは「島根荒神谷遺跡出土品」として知られ、1998年に国宝に指定されました。
この遺跡は1987年に国の史跡に指定され、1995年には荒神谷史跡公園として整備されました。さらに2005年には荒神谷博物館が開館し、季節ごとに展示を行っています。
荒神谷遺跡で発掘された銅剣の数は、日本国内で一箇所から発見されたものとしては最多で、古代日本史や考古学の世界に大きな衝撃を与えました。この発見により、日本の神話が空虚であるというイメージが払拭されました。 現在、この遺跡で発見された出土品は、2007年3月に開館した島根県立古代出雲歴史博物館の常設展示で見ることができます。
出雲弥生の森博物館
弥生時代の出雲の首長たちと、貴重な遺物に出会いましょう。
弥生時代、邪馬台国は女王卑弥呼によって治められていました。この時代、出雲には強力な支配者のための巨大な墓室がありました。ガラスの勾玉やブレスレット、鮮やかな赤い顔料で彩られた副葬品を見れば、出雲の古代の首長たちの世界がよみがえります。出雲の首長の葬儀を大胆に再現した大きなジオラマ模型で、弥生時代にタイムスリップしてみませんか。
この博物館は、市内の遺跡を紹介するガイダンス施設としての役割だけでなく、市内での調査で発掘された文化財の考古学センターとしても機能しています。近くには国指定の史跡である西谷墳墓群もあります。
歌舞伎の創始者、出雲の阿国の墓
日本の独特で人気のある歌舞伎の創始者とされるのは、出雲大社の巫女だった出雲の阿国です。
出雲の阿国のお墓は、出雲大社から稲佐の浜へ向かう道の途中にあります。
古代と現代が出会う地、出雲
出雲大社は、神々の国・出雲を象徴するようにそびえ立っています。背後には八雲山があり、静かで威厳ある雰囲気が漂う場所です。優雅な社殿が堂々と立ち、ここにあるものはどれも大きく、厳かな緊張感が感じられます。
出雲大社の壮大な雰囲気からは、大国主大神の存在と、幸運と富の神としての寛大さを感じ取ることができます。
出雲大社には巨大なものがたくさんあります。本殿の大きな屋根と高くそびえる千木、大国主大神の等身大の青銅像、そして大きな注連縄など、そのリストは尽きません。現在でも本殿は日本の神社建築の中で最大のものとして誇りを持っており、平安時代には現在の倍の高さ、約48メートルあったと信じられています。
「当時の人々は、そんな高さの建物を建てる技術を持っていたのだろうか?」と疑問に思うかもしれません。この疑問は長い間、伝説の題材となってきました。しかし、2000年に出雲大社の敷地内で古代の柱とされる「宇豆柱」が発見されました。これは古代の巨大な本殿の謎を解く鍵となる大発見で、多くの注目を集めました。発見された柱の一つ「心御柱」は神社内の宝物殿で展示されており、宇豆柱は島根県立古代出雲歴史博物館で見ることができます。
宇豆柱(うずばしら)
2000年から2001年にかけて、出雲大社の遺跡内で3か所にわたり、直径約3メートルの巨大な杉の木を3本組み合わせた柱が発見されました。
その中の一つは、屋根の棟を支える「宇豆柱(うずばしら)」と呼ばれる柱でした。この柱が置かれていた穴の中には、半径約6メートルの範囲に人の頭ほどの大きさの石がぎっしりと詰められていました。このような地下構造は世界でも例がないことが明らかになりました。
この柱の位置と構造は、出雲大社宮司の千家国造家(こくそうけ)に伝わる、「金輪御造営差図」と呼ばれる巨大な本殿の設計図と驚くほど似ていることが分かりました。これにより、科学的な分析や考古学的な文書の調査と合わせて、この柱が鎌倉時代前半の1248年に建てられた本殿を支えていた可能性がますます高まったのです。
出雲大社の本殿
出雲大社の本殿は、10世紀には「雲太」と呼ばれていました。当時、日本で最も高い神社で、高さは48メートルもあったと言われています。中央の柱である「心御柱(しんのみはしら)」は直径約3.6メートルあり、本殿へと続く階段も非常に長かったとされています。
出雲大社 - 並びに神御図
鎌倉時代の出雲大社(旧称:杵築大社)とその周辺を描いた絵図があります。一説によると、これは1248年に本殿が建てられた際に奉納された屏風絵だと言われています。
この絵は主に出雲大社の境内を中心に、古代の杵築地域とその周辺を描いています。特に島根半島の西部が詳細に描かれています。
絵図の日本海の上の方には、商品を運ぶ帆船が見えます。そして、稲佐の浜の近くには漁船が描かれています。中央にある大きな朱塗りの神社は、1248年に建立された聖域の神社で、他の建物よりも高くそびえ立っています。
大社の左側にある大きな建物は、出雲の地域管理者の住居です。その隣には、地面に柱を埋め込んだ建物や、神社の柵を囲む建物など、さまざまな建物が個別に描かれています。神社の敷地の南側には、東西に広がる収穫された田んぼが見えます。その右側には、小さな水たまりのように見えるものが2、3あります。これは、約400年前に新しい田んぼの開発で消えた「菱根池」という池です。南側の砂丘には、角のある鹿が見えます。鹿は今でも大社の背後にある北山に野生で生息しています。
さらに、出雲大社は縁結びや財運の神としても有名です。日本最古の歴史書とされる『古事記』には、この古代神社の創建についての情報が記されています。明治時代までは「杵築大社」と呼ばれていました。
ここで祀られている主祭神は、大国主大神で、日本では「大黒様」としても知られています。『古事記』に語られる国譲りの神話では、大国主大神が天の天照大御神に国を譲ります。この神話の終わりに建てられた天日隅宮は、元々の出雲大社とされています。
高天原 – 天の世界
日本神話の天上の世界についてご紹介します。『古事記』によれば、天照大御神が治める天の世界には八百万の神々と天神がいるとされています。人々が住む世界は「葦原中国」と呼ばれ、地中にあると信じられていた死者の国は「黄泉の国」とされています。
稲佐の浜
日本神話に登場する海岸です。この場所では、天の使者たちが剣を砂浜に突き立て、大国主大神と国譲りの交渉をしたと伝えられています。また、『出雲国風土記』には、ここから南に広がる「薗の長浜」が、国引き神話で描かれる綱になったと記されています。弁天島が海岸に浮かぶように見え、沿岸の風景を引き立てています。
神在月 – 日本中の神々が出雲に集まるとき
この1週間にわたるお祭りは、静かで穏やかに行われます。
旧暦の10月には、日本中の八百万の神々が出雲に集まります。
日本のほとんどの地域では、この月に神々が不在となるため「神無月」と呼ばれますが、出雲では神々が集まるため、この地域だけで「神在月」と呼ばれます。
毎年、旧暦の10月10日に、神々を迎えるお祭りが行われます。この儀式は、日本海に面した稲佐の浜で行われ、出雲大社の近くで神々の使者である龍や海蛇を迎えるために、儀式の火が灯されます。
神々が浜辺で迎えられた後、出雲大社へ向かう行列が始まります。笛や太鼓の音に合わせて、龍や海蛇、神々を宿す2本の神聖な木の枝「神籬(ひもろぎ)」が先頭を進みます。出雲大社での祝祭が終わると、八百万の神々は一週間、出雲に滞在すると言われています。本殿の東西にある十九社(じゅうくしゃ)に集まり、人間の生活に関する様々なことを話し合う「神議(かむはかり)」が行われます。
この会議の間に、神々は結ばれる運命にある男女の縁を決めるとも言われています。この会議は、稲佐の浜へ向かう途中にある「上の宮」で行われます。地元の人々は、この会議を邪魔しないように静かに過ごす習慣を守っています。
宍道湖
島根県の北東部に位置する宍道湖は、東西約17キロメートル、南北約6キロメートル、周囲47キロメートルの長方形の湖です。日本で7番目に大きな湖面積を誇ります。
宍道湖は、出雲平野を流れる斐伊川を主な水源とし、北、南、東、西に20本の川とつながっています。この斐伊川は、ヤマタノオロチの神話で有名です。
2005年には、湿地を保護するための国際条約「ラムサール条約」に登録されました。日本を代表する百景の一つでもあり、約1万年前に形成されたと言われる美しい湖で、出雲の地と深い関わりがあります。宍道湖の夕暮れは、日本の「夕日百選」にも選ばれており、雲や空、湖が織りなす美しさは、小泉八雲をはじめ多くの文学者を魅了しました。
斐伊川
中国山地の船通山を源とし、北へ流れる斐伊川は、宍道湖に注ぎ込む一級河川です。流域面積は約2,550平方キロメートル、全長は153キロメートルあります。上流部は『古事記』で「簸の川」として、また『出雲国風土記』では「出雲大川」として知られ、ヤマタノオロチ退治の舞台として有名です。当時は出雲平野から西へ流れていましたが、江戸時代に川の流れが変わり、現在は東へ流れています。
立久恵峡
神戸川の清流に沿って、約2キロメートルにわたって高さ100から200メートルの岩壁がそびえています。この岩壁は川の侵食と風化によって形成され、左岸には「ろうそく岩」などの美しい岩の形が見られます。岩の風化は激しく、雨水の侵食によって亀裂や割れ目が増え、小さな谷が多くできて複雑な地形を作り出しています。この場所は1927年に国の名勝・天然記念物に指定され、1964年には県立自然公園となりました。
観光スポットも豊富で、自然観察コースとしての遊歩道や展望台、「五百羅漢」と呼ばれる仏像群がある場所などがあります。四季折々に変わる壮大な景色は、訪れるたびに新しい体験を提供してくれます。
立久恵山霊光寺
約1200年前、あるお坊さんが川から聞こえる声を耳にしました。近づいてみると、大きな緑の亀が如来像を背負って浮かんでいました。お坊さんはこの如来像を、仏の形をした岩の中腹にある「天柱峰」と呼ばれる洞窟に安置し、お寺が建てられました。
天柱峰の頂上近くには、開祖を祀る奥の院があります。そこには人は住んでいませんが、夜の闇の中で木魚の音が聞こえると言われています。昔から伝わる地元の伝説によれば、これはこの地に住む天狗の仕業だとされています。
五百羅漢
霊光寺への参道のすぐ下の岩壁には、迫力ある石仏群があります。これらの仏像は長い間、風雨にさらされており、一部が風化したものを含めて、全部で1000体以上あります。
最も古い仏像は木製で、石仏は約100年前のものです。これらはすべて、寺を建立した人々によって奉納されたものです。
猪目海岸
出雲国風土記に記されているように、黄泉の国への入り口は猪目海岸の洞窟にあると言われています。この洞窟では、縄文時代(紀元前14,000年~紀元前300年)から古墳時代(300年~538年)にかけての人々の生活や埋葬儀礼を物語る数多くの遺物が発見されています。
鰐淵寺
594年に信濃国の聖僧・智春が、天皇の目の病を治すために出雲の旅伏山の滝で祈りを捧げました。その結果、天皇の病が治ったため、お寺が建てられたと言われています。
また、平安時代の終わりに、武蔵坊弁慶が18歳のときから3年間、ここで修行を積んだと伝えられています。その後、京都の比叡山で源義経と出会ったとされています。
佐香神社
『出雲国風土記』によると、ここは酒造りの発祥地とされています。現在でも、この神社には毎年180リットルの酒造が許可されており、10月13日の秋祭りでは、訪れた方々にできたての酒(どぶろく)が振る舞われます。
北島國造館
1882年、出雲の第76代国造である北島脩孝が、ここに出雲教という神道の組織を設立しました。
出雲教は、大国主大神を主にお祀りする神道の一派です。北島國造館の正門には、四本の柱を持つ四脚門(しきゃくもん)があり、これは出雲大社の中で最も古い建物です。
鵜鷺地区
鵜鷺地区は、出雲大社から山を越えた先にある日本海に面した地域です。ここには、出雲国風土記で「宇太保浜」と「鷺浜」と記されている鵜峠と鷺浦の町があります。海と山に囲まれた島根半島の小さな港町で、訪れると心が和むことでしょう。