出雲について

国譲り
出雲の歴史 第7章

出雲大社はなぜ建てられたのでしょうか?その答えは、土地を巡る神々の争いの物語にあるかもしれません。

昔々、出雲の国は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)という神様が治めていました。しかし、天を治める天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、葦原中国(あしはらのなかつくに)を自分の子供たちに治めさせたいと考えました。

* 葦原中国:いくつかの説がありますが、ここでは出雲地方を指します。

そこで、天照大御神は「私に代わって地上の神々を従わせなさい」と言い、天穂日命(あめのほひのみこと)を派遣しました。しかし、天穂日命は大国主大神を非常に敬い、そのまま彼の家来となって戻ってくることはありませんでした。

天照大御神は天若日子命(あめのわかひこのみこと)を派遣しましたが、彼は大国主大神の娘に心を奪われ、そこに宮殿を建てて住み着いてしまいました。そこで、天照大御神は何が起こったのかを確かめるために、鳴女という雉を送りましたが、天若日子命に殺されてしまいました。

天照大御神は使者が戻らないため、力自慢の武甕槌(たけみかづち)と足の速い天鳥船(あめのとりふね)の二柱の神を派遣し、力で問題を解決することにしました。

二柱の神は出雲の国の伊耶佐(いざさ)の小浜(現在の稲佐の浜)に降り立ち、剣を抜いて柄を地面に突き刺し、剣の先に座りました。

そして、力強い口調で大国主大神に言いました。「我々は天照大御神様の命を受けて来ました。天照大御神様は葦原中国をその子供たちに治めさせると決めましたが、あなたはどう思いますか?」

大国主大神は答えました。「私が答える立場にはありません。息子の事代主(ことしろぬし)が答えるでしょう。しかし、彼は今、美保の岬で鳥や魚を捕って遊んでいます。」

武甕槌は天鳥船を事代主のもとへ送り、国を譲ることについて尋ねました。事代主は「天照大御神様の子供たちに国を譲ります」と答えました。

しばらくして、力自慢で知られる大国主大神のもう一人の息子、武御名方が大きな岩を持って戻ってきました。武御名方は岩を投げ、「この国が欲しいなら、どちらが強いか試してみよう」と言い、武甕槌の腕を掴みました。

これにより、武甕槌の腕は氷の柱となり、鋭い剣に変わりました。武御名方は驚いてひるみました。次に武甕槌は武御名方の腕を軽くひねり、地面に投げ倒しました。武御名方は恐れて逃げ出しました。

武甕槌は逃げる武御名方を追い、ついに信濃の国(現在の長野県)で彼を見つけ、諏訪湖で押さえ込みました。

命乞いをした武御名方は、「諏訪の地からは出ません。葦原中国をすべてあなたに差し上げますので、どうか命をお助けください」と言いました。

武甕槌は出雲に戻り、大国主大神に経緯を話しました。大国主大神は「この国をあなたに譲ります。しかし、その代わりに天の天照大御神の宮殿のような大きな神殿を建ててほしい」と答えました。武甕槌はその願いを受け入れ、大国主大神のために宮殿を建てました。この神殿が出雲大社だと言われています。

この神話は、奈良時代に作られた『古事記』や『日本書紀』に記されています。
多くの普遍的で信じがたい内容の神話の中でも、「国譲り神話」は現代にも通じる政治的な駆け引きや人間の弱さを感じさせます。

この神話の舞台である稲佐の浜を歩いてみませんか?天照大御神が使者を送り続けて葦原中国を手に入れようとした時の気持ちや、国譲りにすぐに同意した事代主、失敗しながらも守ろうとした武御名方、そして最終的に国を譲った大国主大神の気持ちを感じながら歩いてみるのも素敵ですね。